FAIRY TALE

ハンドルネームは八尾の猫です。耽美と翻訳ミステリが大好きです。旧ブログはhttp://d.hatena.ne.jp/hachibinoneko/、メールアドレスはaae22500@pop21.odn.ne.jpです。

騙し絵/マルセル・F・ラントーム

騙し絵 (創元推理文庫)

騙し絵 (創元推理文庫)

 

  六人の警察官が出てきて、その内の一人が日本人である。名前はサトウ。良かった……というのは、翻訳もののミステリを読んでいると、「日本人」という設定にも関わらず、「その名前はどう考えても日本人じゃないだろう」という登場人物に出くわすからだ。日本人の警察官の名前はサトウ。しかし、彼には禅の心得があった。そしてそれは、警察官の身分と矛盾するものではないと言い切られている。確かにそういった心得を持つ日本人警察官も実在するかもしれないけれど、それでも、ああ……日本人って一体……。
 さて、この『騙し絵』、帯には「幻の仏本格ミステリ」とある。私事ながら、英米本格ミステリ、そして英米本格ミステリの影響のもとに大きく発展してきただろう日本の本格ミステリを読み慣れた身としては、「仏本格ミステリ」を読んだとき、ごくごく一部の例外を除けば「これって本格ミステリなのか」と頭上に?マークを浮かべてしまう。同じマルセル・F・ラントーム『騙し絵』を読了したときも、この?マークが浮かんだ。
 偉そうな言い方になってしまうが、ダイヤのすり替えという謎の設定はいい犯人もそれでいい。動機だって的確だ。しかし後半ほとんど冒険ものになってしまうストーリー展開がややシュールだし、なによりこのトリックが……あまりにも脱力ものだ。愚かな偏見を持つものと言われそうだが、やはり(ごくごく一部の例外をのぞいて)かの国の本格ミステリはどことなく変である。
 しかしインパクトはある。しばらくは決して忘れられそうにない。
 年末、ミステリマニアの忘年会で「『騙し絵』、読んだ?」「変だったって思うない?それとも思わない?」などととことん話し合いたい一作(皆できるだけ読んできてくれ)
 この作品の最後の締めの台詞が、登場人物が事件への印象を語った台詞が、当方のこの小説そのものへの感想がぴったりと重なる。

 「(略)でもあの事件には、何か奇妙な印象が残るんだ。まるで音と映像がずれている映画を観ているような」(p324)


 同じ台詞の中にこんな言葉もある。


 「(略)**は映画監督かマジシャンにでもなるように、生まれついている人間だったのです」(p324)


 この『騙し絵』という作品、映画で見たかったかもしれない。音と映像がずれていないにも関わらず、どことなく音と映像がずれているような、不可思議なミステリ映画になったであろうから。