FAIRY TALE

ハンドルネームは八尾の猫です。耽美と翻訳ミステリが大好きです。旧ブログはhttp://d.hatena.ne.jp/hachibinoneko/、メールアドレスはaae22500@pop21.odn.ne.jpです。

極北で/ジョージーナ・ハーディング

極北で (新潮クレスト・ブックス)

極北で (新潮クレスト・ブックス)

 一六一六年、八月、北極。捕鯨船の乗組員である一人の男トマス・ケイヴが、無謀な賭けをした。たった一人で、この地でひと冬を生き延びることができるか。彼はできると思った。彼以外の平安号の乗組員はできないと判断し、狂気の沙汰だと考えた。
 そして、この極北の地にトマスを残して旅立った。心の中で、トマスの死を予想しながら。下手をしたら一日中太陽も見られぬ、闇と寒さの支配する土地にトマスは残った。強い意志を持ち、理知的な人間だった彼は備蓄している物資をしきりに計算しながら、生存のための戦いを始める。狩りをし、病に抗い、なにより呼びかけてくる亡妻の幻と語らい、ときには彼女を退けながら。
 派手な舞台設定(何世紀も前の北極なんて、まさに未知の世界だ)を扱いつつ、実に静謐な物語に仕上がっている。雪嵐や狩猟の描写もしっかりあるに関わらず、である。一介の捕鯨船の乗組員が、語り手の少年にとって英雄となり、やがて伝説の人間となっていく過程を描いたお話だが、澄んでいて、固くて、冷えていて……そういったイメージとぴったり重なるため、根本的に狂気や錯乱と縁のない、ケイヴの理性や知性が、極北という背景と似合っている。
 押しつけがましくなく感動的な物語を求めたい向きに。