FAIRY TALE

ハンドルネームは八尾の猫です。耽美と翻訳ミステリが大好きです。旧ブログはhttp://d.hatena.ne.jp/hachibinoneko/、メールアドレスはaae22500@pop21.odn.ne.jpです。

春琴抄/谷崎潤一郎

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)


 佐助、それはほんとうか


 いま谷崎潤一郎を読むと、学生時代とまったく違う感想が浮かんでくるのに驚く。『春琴抄』はとても単純にあらすじを言うと、盲目の三味線師匠春琴に、下僕の佐助がどんな酷い仕打ちを受けても愛と献身を捧げる物語である。どう考えても春琴からはサディズムが感じられるし、佐助からはマゾヒズムが感じられる。
 「SとMのカップルが、ちょうどよく傍らにいたんだな」などとかつて考えていたのだが、今は違っている。
 春琴は美人、傲慢、贅沢を好み、しかも陰湿という、これまでの谷崎作品の中にまま現れる「悪女」だが、『卍』の光子や、『痴人の愛』のナオミとの決定的な違いが一つある。浮気をしないことだ。実際彼女は年下の坊ちゃんに言い寄られているのだが、あっさりと袖にしている。盲目という事情もあったろうが、春琴が生涯で近付けた男は佐助一人で、特別な意地悪をするのも佐助一人である。その意地悪ときたら、折角周囲の人間が佐助との結婚を勧めているにも関わらず、「あんな身分違いの男など」とあっさり断り、そのくせどうしても佐助が父親としか思えない私生児を生み、あっさりと養子に出しているぐらいである。しかし、決して佐助を傍らから離そうとしなかった。
 この二人の関係は、一見したところ嗜虐趣味の春琴が、被虐趣味の佐助を支配しているように見える。しかし、いたるところで見える春琴の佐助への依存と執着を慮れば、佐助の被虐趣味を見抜いた春琴が(元より高慢な気質だったとは言え)、佐助を満足させるため、あえて嗜虐的にふるまっているようにも見えるのだ。傍から見ると、佐助が一方的に春琴を愛し、仕えていただけようにも見えるが、実際にはこの二人、愛情は同じ量だけあったのではないだろうか(それが余人にもまったく理解できない種類の愛だったとしても)
 『痴人の愛』と並び、傑作。とても美しい恋愛小説。