ジェーン・ドウの解剖/アンドレ・ウーヴレダル監督
これは嬉しい大傑作。2016年度の年末には
ブラッド・アンダーソン監督『アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち』や、
(http://d.hatena.ne.jp/hachibinoneko/20161127)
デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督『イット・フォローズ』や、
(http://d.hatena.ne.jp/hachibinoneko/20161204)
ウィリアム・ブレント・ベル監督『ザ・ボーイ 人形少年の館』
(http://d.hatena.ne.jp/hachibinoneko/20161207)
面白いホラー映画を複数見ることができて嬉しかったが、今年、2017年の年末もまた優れた作品に出会うことができて良かった。しかも特筆するべき質の映画である。
夜間、身元不明の美女の死体(名前も分からないため、慣習に従ってジェーン・ドウと呼ばれる)を検視解剖して調べることとなった検死官の父親と息子。死体は土壌に埋められていたので、古いものか新しいものかも分からない。やがて検視解剖を進めていくうち、二人の上に怪異が訪れ、しかも窓外には嵐が訪れており、逃げ場がない。
ホラー映画としての恐怖、グロテスクを存分に備え、また美しい死体がふりまく倒錯的な蠱惑、ネクロフィリアの妖しさを漂わせながら、検死官の親子が死体に見られる痕跡から、ジェーン・ドウの正体に理知的に迫り、ついには正体を言い当てる様子には、ミステリとしての面白さもある。特にこの「正体」には驚いたし、ここに至るまでの伏線と過程には膝を打つ。ジェーン・ドウのもたらす怪異と、主人公親子の知性と理性との戦いを描いた映画ともいえる。
時折聞こえてくるあの複数の女性の歌声、あれはおそらく現在解剖されている彼女や、そしてあの事件に巻き込まれた彼女たちが平和な暮らしを送っていた頃の愛唱歌だったのだろう。この歌詞やメロデイーの素朴さ、明るさと、彼女たちが巻き込まれることとなった事件の陰惨さ、そして現在にいたるまで恐怖をもたらす存在に変化したというギャップがすごく恐ろしい。
もう一度書くけれど大傑作。
↑どれも面白いホラー映画