FAIRY TALE

ハンドルネームは八尾の猫です。耽美と翻訳ミステリが大好きです。旧ブログはhttp://d.hatena.ne.jp/hachibinoneko/、メールアドレスはaae22500@pop21.odn.ne.jpです。

マーサあるいはマーシー・メイ/ショーン・ダーキン監督

 子供のときは、カルト宗教にはまる人が不思議でならなかった。あからさまにうさんくさい宗教にひっかかる人は心のどこかで軽蔑さえしていた。そして自分は決してそんな目には遭わない、と。
 年を食い、オウム真理教やら、その他マインドコントロールを利用した犯罪やらを見聞きした今となっては、そうは思っていない。人災であれ、天災であれ、「自分だけは大丈夫」なんてことは決してないのだ。
 『マーサあるいはマーシー・メイ』は、マインドコントロールの恐怖を淡々と描いた傑作である。ヒステリックに描いていないだけ、余計に恐怖は身に沁み、後味は悪い。
 マーサは映画の冒頭で、若い男女が共同で暮らす山の中のカルト教団を脱出し、姉とその夫が暮らす別荘へと逃げ込む。普通の映画ならば、ここをハッピーエンドに持っていくのだろうが、この映画が怖いのは、カルト教団から抜け(抜けたように見え)たのちも、特殊な環境で続けていた生活習慣、偏った思想、そしておぞましい記憶、そしてしでかしてしまった出来事が、本人と周囲の人間をいかに苦しめ、人と人の関係を破壊していくかを描いている点だ。
 おそらくは学校を出てすぐ……もしくは学校を退学して……カルト教団で二年間暮らしたマーサの常識は、悪い意味で世の人とはずれている。例えば、それらはいきなり全裸で泳ぎだしたり、姉夫婦がセックスしている部屋に足を踏み込んで平然としているところに表れる。これらの行為は教団では普通のことだったのだ。
 さらにみずからの意志で教団を脱出しても、マインドコントロールは決して抜け切っていない。まだマーサは彼女を言葉巧みに犯罪に参加させたリーダーの考えから脱しておらず、そのことで義兄を怒らせる。
 そしてトラウマ。姉夫婦との関係がうまく行かず、心の傷は深まるばかりだった。しかし、これは姉夫婦を責めるのは酷なことで、マーサにははっきりと専門家の治療と手助けが必要なのである。
 あの唐突なラストシーンは本当にあったことなのか、それともマーサの妄想なのか。警察に知られたら確実に逮捕されることを行っているにも関わらず、脱走者が結構出て、しかもとりたててそれを追いかけていないようなカルト教団の描写から察して、マーサの妄想では、という気がする。
 カルトの恐怖、そして人間の怖さを描いた傑作。